ニーハオ、ニホンコンです。
あれよあれよという間に5月になってしまいました。
1か月、飛ぶように過ぎた気が。
お盆やお正月、GWなどに必ず行うのは
「デジタルデトックス」なる、携帯から離れる作戦。
特にSNSなどでよそ様のお楽しみを覗くのは避け、
自分たちの楽しみに集中することに。
(ずっとここらへんに居たけど)
ま、それはそれでおいておいて、
全然話していないハナシが。
「次女入学」。まだ4月上旬かい!

これはこれでニホンコンの中で大きく気持ちが動いた
ところなので、しばしお付き合いくだされ。
ご存じの方も多いかと思いますが、私、ニホンコンは
3人の娘がおります。今は10歳、6歳、3歳ですが、
3年前の春は「7歳、4歳、オナカの中」でした。
長女の新入学は、第一子ということ、そして妊娠中。
加えてこの土地にきて4か月たらずという新米さ。
てことは友達ゼロという、もう不安オブ不安。もとい
「キングオブ不安」。
情緒も不安定というか、結構な「よくわからなさ」で
イッパイイッパイでした。あー、思い出しても泣けて
きそうだ。(あんなに弱ったの、困ったのは初めて)
夏に3女がうまれてからこれまでの間というと。
あんまり記憶がないくらい、大変だった記憶が。
現在ようやく、周囲を見渡せ、息継ぎができるくらい
にはなりました。
そんな中で迎えた、2回目の入学。
一番ちいこいのを膝に抱えながら、式次第も
「ああ、こんなだったな」と余裕もできました。
んで、顔見知りの先生などに声を掛けたりと、
ずいぶんリラックスして眺められた入学式でした。
(3女、ノロウィルスの終わりで体力消耗しまくり
だったが致し方ない)
でも、でもなのだ。
これは自分でもかなり不思議な感覚がぐわっと
襲い掛かってきまして。稲妻が走った言葉は
「子育ては日いちにちと終わりに向かっている」
だった。
そう。保育園時代はもう毎日送り迎えはするわ、
お仕度はお母さんメインで子供ちょろっとお手伝い、
みたいな母メインなところがあったものの、
小学生になった瞬間、自分で時間割を整えて
「行ってきますー」で家を出る生活になる。
それは長女のこの丸4年間の小学生ライフでよく
分かっていたし、親が関与する部分が圧倒的に
減ってきたのを実感していた。
(体力的には楽にはなったけれど、ここから
きっと気持ちの綱引き大会がくるだろう)
そして、2番目のこの甘えん坊さんも、もうその
ステージとなり、ひとり歩き始めている。
と考えると、あれれれ?いつまでもいつまでも続く
と思われたこの騒々しい子育てライフ、
「ジャックと豆の木みたいに、明日起きたら
大きく大きく育ってますように」
と半ば本気で思ったのが、自分が思って
いるよりもすぐそこに迫っていることを知る。
「ちょちょちょちょ、ちょっと待って!」
やばい、私寂しくなるかも!と。
絶対自分はそうならないであろう、バンザーイ!とか
言いながら仕事してるかもと思ったのですが、
さすが10年の母ライフで植物すらも枯らしていた
自分が、「小さいのを慈しむ」人になったのだ。
驚き桃の木山椒の木。
(すごい「おどろき」で一発変換)
そして、オタオタと送り迎えに奔走する3女の
保育園ライフがまだ残っているのだけれど、
その日々も、あと3年。
「あと3年もあるんだ」または「あと3年しかない」
と思うかはそれぞれかもしれない。でも
なんとなくなのだけれど、きっとこの大変な時期は
ニホンコン自身のこれからを支える、大切な黄金期の
思い出になるのではないかと予想している。
今までがワタクシゴトで後ろも振り返らず突っ走った
ところもあり、遠くのどこかに何かがあるのでは、
と、外へ外へと理想を追い求めていました。
この小さな苗木のような3人に、日々水やりと、
声かけと太陽を浴びせることも、十分な仕事なのだ
ということを腑に落ちた瞬間でした。
で、晴れて入学式終えた翌日。
2号をおんぶをした背中から「オエーッ」と(涙)。
どうやら少し前から掛っていた3号のノロを、
終わった瞬間に2号がもらったという。
元気だけが取り柄の2号。入学3日目で欠席という。
皆勤賞は2日で記録が途絶えましたとさ。とほほ。
5月9日 日本/香港