ニーハオ、ニホンコンです。
讃岐うどんの旅から1週間。
「ああ〜記憶が風化する〜」と、あんだけオナカいっぱい食べたのに、
まだ食べられます、我 愛 讃岐ウドン。
讃岐うどんの美味しいところ、というと「辺鄙な場所」にこそ存在し、
皆さん朝早くからレンタカーで僻地から僻地へと移動するのが常なのだけれど、
我々は高松でブラブラしながらうどんを食べようと言う企画。
理由としては、「オレンジ色の看板チェーン店くらいしか食べてない東京暮らしの
我が家にとっては、高松でも相当水準以上の味はある」と踏んでいたことと、
ちっとは歩いて目的地に向かうほうが、風情も感じられるだろうし、何より
1日に何杯もうどんを食らおうとするには、少々のウォーキングくらいあったほうが
三十路すぎの新陳代謝的にはヨイ、と考えたからであって。
(手前の極細ねぎは「やっこねぎ」。あまりの美味しさに山盛りで頂く)
結果、もう歩いたなんてもんじゃなくて。
街中の店などは徒歩といっても知れているけれど、郊外の地図の縮尺が
オカシイんじゃないかと思うくらい歩かされ、アウェイのよく知らない場所
だからこそできた移動なのではと、今でも思っている。(多分東京都内だと、
新宿から新橋くらいまでの距離を歩く、みたいなもんでしょうか)
(いいだこの天ぷら。美味しいのですが、若者でないニホンコンは一発でお腹が
膨れる。うどん巡礼は、揚げ物の誘惑と胃袋の戦いです)
肝心のうどん話に。
うどんはですね、もう極上に美味しくて。
美味しいのだけど、店ごとに麺のコシやら塩っけ、ダシの具合などがそれぞれ
異なり、数有る讃岐うどん本が「この店のうんちゃらは〜」とゴタクを並べて
いるのも十分頷ける。アウェイの東京人でも「あそこの何何は〜」なぞと
通ぶってみたくなるのだから。
しかし店ごとに異なるメニューやシステムにさすが慣れないビジター・ニホンコン
は慌て、席に付いてから周囲を見渡し「うわっ!横の人の美味しそう!あっちに
すればよかった!すいません、それ何ですか?何玉ですか?おいしそうですねー」
などと羨望の眼差しを向けてみたり、一抹の後悔をしてみたり、諦めきれない
ところはもう一回訪れてみたり。
ただのネギなのに辛みや苦みがなくて感動したり。
天かすがいつまでたってもヘニャヘニャしないのに感動したり。
ただのチクワの天ぷらなのに、揚げたてを頂いて感動したり。
(ちなみにその店の天ぷら担当のオバサンは電話ボックスくらいの
「天ぷらコーナー」にひとり陣取り、年がら年中天ぷらをあげているようで、
「オバサンの手だし」みたいなうま味がそこはかとなく感じられ。ただ、そこは
うどんは早いが、天ぷらは異常に時間がかかり、さっさとうどんを食べ終えた
我々は、最後「チクワ天だけをハグハグと食らう」ハメになりました)
絶妙な塩加減の麺を出して来る店の「かけうどん」に感動したり、
「釜バター」なる、釜あげうどんにバター&たまご&醤油&黒こしょうという、
ある種「やっちまったな」的なメニューも食してみると「日本のカルボナーラかな」
と、かなり美味しかったり、そうこうしているうちにうどん自体に飽きてきて、
うどん屋なのに「中華そば」を食べてみたり。
たかが数百円のうどんの為に決して安くない飛行機代&宿代を出して
赴いた香川。「行った甲斐があった」&「おつりが来るほど楽しんだ」と
胸を張って言える2日間でした。
旅は、その土地をウロウロするのも楽しいのですが、明確な目的のもと
行動し、そこに風景とか人情などがくっついてくるというのが我が家にとっては
理想的だと、今回のうどん巡礼の旅で思いました。
もう少し近いと次はあそこに行ってあれ食べて〜などと想像力も膨らみますが、
さすがに東京からは距離があるため、次回はあるのか?状態。あとは
アルジに捏ねてもらい、踏んでもらい、切ってもらい、ゆでてもらうべく、
「老後の趣味にもなるし(いつの話だ)、いつでも美味しい讃岐に出会えるし、
自家製讃岐うどんセット(粉とか棒とかが入ってる)買おうよ〜」とねだっている
のだけれど、一向になびかない。ちぇ。
(高松の郊外、屋島の「屋島神社」にて。眺めは最高ですが急勾配の階段で
肉体を酷使しました)
6月7日 日本/香港