(産後2週間足らずで疲労のため高熱が。アルジの手製お握りとメモは
よい薬になりました)
さて、マジで助産院に帰ることになったニホンコン。
足元はフラッフラのガックガク。助産婦さんに抱えられるようにして
分娩室を後にする。
【歩こう 歩こう】
そして「ハイ、階段降りますよー」と助産婦さん。
嘘でしょ!私このガクガクの足で平坦な場所ですらおぼつかないのに、
段差なんて無理無理!担架は?!タンカで運んで〜」と。
このときばかりは「担架」で運んで欲しかったが、担架も車イスも
果てまたエレベーターすらも無い昭和な病院ゆえ、残るは
自力で降りるのみ。
確か、宇宙飛行士が宇宙から帰還した際、無重力状態が長かったせいで
足の筋肉が衰え、抱きかかえられるようにしてシャトルから降りてきたのを
以前見たことがあるけれど、まさにあんな感じ。
マラソン選手だとか宇宙飛行士だとか、例えが壮大で申し訳ありませんが、
一仕事終えたそのときは、ホントもう「エベレストの頂きに立つ」くらい
壮大なものでして。
で、現実に戻り。目の前にあるは階段。
転げ落ちるときは助産婦さんと運命を共にすると覚悟し、一段一段
あるようで無い感覚を噛み締めながら階段を降りる。
そしてそのまま呼んであったタクシーに乗って、一路助産院へ。
無銭飲食は「食い逃げ」というけれど、産んでさっさと帰るサマは
なんだか「産み逃げ」みたいな気分。
助産院へ帰るとスタッフ総出でお迎えしてくれ、ニホンコンはひとこと
「凱旋帰国です」と、よくわからないけど、なんかそれっぽいような
ただいまの挨拶。
今となってはいい話のタネができたワイ、なのですが、いやこれほんと
出産と同じくらい大変の一言でした。頭も朦朧としながら「イヤイヤ、これ
まじですか?」と何度思ったことか。
【入院生活は】
毎日日替わりで訪れる指圧やアロマの先生がいて、いかがですか?と
助産婦さんから声を掛けられる。「んもう私頑張ったんだもんね!」と
大いばりしながら片っ端から施術を受ける。ちなみにお代は
「入院費にツケて下さい」と、料金も聞かずに勝手にツケ支払い。
結局1泊延泊なぞして、通常4〜5日で退院のところを、お産前から
数えて計1週間滞在。ご飯も美味しく、極楽浄土の旅。
結果しんどい思いをしても帰って来てよかったなーと。
【よいお産とは】
「2人目は早いよー」と神話だか伝説のように言われた2回目のお産は、
安産どころか予想外のドタバタ劇。友人各位からも残念だったねと
声を掛けられるのだけど、あれ?残念?いや全然残念無念じゃないんですが。
確かに、直前までは「理想のお産ができなかったら、その後の育児に
支障が生じる」と、ドンヨリしておりましたが、お産が終わったら、そんな
思いは一切なくなっており、むしろ「それでも素晴らしいお産だった」と
胸を張って言える現在。
思うに、その人が「よいお産をしたい」と思っていれば、如何なる形であれ、
実現可能なんだと。ニホンコンの場合、それは産前〜退院のその瞬間まで
グラグラのニホンコンの気持ちと体にずっと寄り添ってくれた助産婦さんという
存在と家族が、今回のお産の大きなウェイトを占めました。
それぞれとのコミュニケーションによって、全員にがっちり支えられている自信と、
皆で一緒に産んだという一体感を体験でき、ドタバタしたからこそ得られた
ものが沢山ありました。
退院の前夜は、もう、感謝と感動の思いの丈を立ち会ってくれた助産婦さんに
トツトツと語る。そこに燃え盛る火さえあれば「きみの〜ゆく〜みちは〜」などと
キャンプファイヤーよろしく「若者たち」でも歌いそうな勢いだったかと、
酒でもあれば、肩組んで朝まで酌み交わせただろうに、残念ながらお茶以外
出る訳もなかった。
長い長いお産の話は、このくらい。
「夫れ禍福の転じて相生ずるは、其の変見え難きなり」
有名すぎる中国の「塞翁が馬」の一節が、実体験を持って理解できた
この度のお産なり。
10月15日 日本/香港
追記:長文駄文にオツキアイ、ありがとうございました。