-nihongkong-


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この世で割と嫌いなこと

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裁縫。

お裁縫につきる、ニホンコンです。

チクチクするのが小さいころから興味がなく、
高校時代、家庭科でパジャマを作ったことが
あったけれど何故作らなくてはならないのかも
腑に落ちないまま、ダーツだのなんだのと教わ
り、ガガガとミシンをかけていた記憶がある。

今持っている裁縫道具も、靴下の穴を縫うに
足りる程度のごくごくシンプルなもの。
しかも正式な裁縫セットなんてもんでもなく、
ただデパ地下で買えるお菓子のカンカンの中に
いろいろ放り混んでいるだけという。
(今それがカオスになっているのでカンカンを
変えるべくどのお菓子食べようか悩み中)

そんな私が、ミシンを使わねばならないのが、
数年に一度だけやってくる、
「新入学のモロモロづくり」

小学校では、2つのものの制作を親に託される。

①上履き・体操服入れ(巾着)
②防災頭巾カバー

はあ。またこの時期が来たかとため息×100回
確か長女の入学の時には、ミシンすらも持って
おらず、友人宅に駆け込んで、半分やって
もらう目論見で一日かけて仕上げた記憶が。

で、その後何故か母が安いミシンを見つけたか
何かの流れで我が家に「安い新品ミシン」が
やってきた。

あまりにも嫌で、誰かやってくれねえが〜、
裁縫上手はいねえが〜、とナマハゲの形相で
色々聞き込みをしていると、
「お母さんにやってもらうんだよね」
と涼しい顔をして言ってくる人の多いこと。

お母さんということは、使用する新入学児の
「おばあちゃん」てことか。あの時代の人、
お裁縫上手な人が多いから、孫の為なら
えんやこりゃ、くらい朝飯前なのか。

でも、私がばーちゃんになっても、そんなの
絶対にやらない。絶対に、断じてだ。
というか、21世紀の今だ、母に夜なべ作業を
やらせるってのも不明だ。母になったら
飛躍的にお裁縫ができるとでも思ってるのか
真面目に問いたいくらい。

と、ひとしきりブツブツ言ったところで、
自力でやる方法しか残っていないので諦める。
とっとと布を買いにいったものの、半月くらい
「布を眺めているだけ」な日々を過ごす。

それでもどーにも小人さんが夜中に仕上げて
くれる様子もなく、救いの手を差し伸べて
くれるエンジェルもいなさそうなので、
押入れ奥底からあの、ミシンを出してみた。

先ずは動作確認から。これが動かなかったら
意味がない。

以前、確か糸がわっさーと詰まってもう
ごっそり抜け毛みたいなレベルで糸がぐずぐず
出てきてビビり、「故障」と認定して
放っておいた。

でも、今回は放置しておく訳にはいかないので、
説明書を見ながらせっせとやる。んで、その
「わっさー」はヤフー知恵袋みたいなので
理由と対処法を調べて、なんとか前に進む。

要は、糸の掛け方がポイントなんだろう。
(もう作ってから半月くらい経ってるから
ほぼ忘却のかなたなんだけど)

で、先ずは簡単な「まっすぐに縫えばよい系」の
巾着から始める。まっすぐに縫えばいいだけなの
に、やり始めたら「手順」があることに気づき、
「やばい!これでは切りっぱなしになる!」
みたいな箇所も出てくる。

でも二度三度失敗すればなんとなくわかって
きて、スイスイいく。もう、スイスイ行き過ぎ
て、新入学時のみならず、長女の丸四年、
使いまくってペラペラになった長女の分まで
作ってやった。えっへん!

次は難関、防災頭巾カバーだ。
これ、実物の写真を撮るのを忘れたのだけれど、
何やら一枚の布をN字に追って、そこをコの字に
縫う、みたいな。んで片方の凹みを椅子かけ、
もう片方に防災頭巾を入れるというもの。

これも、試行錯誤でああだこうだいいながら
もう床じゅう&ズボンは糸くずだらけ。
それでも何とかひとつ仕上げると、

「得も言われぬ達成感」。

「そうよ!この感覚を覚えているうちに!」と
ばかりに同じ布をもう一枚買い、また丸四年
使いまくって、綻びまくっていた長女分まで
縫ってやった。裁縫嫌いがドコへいったのやら。
2回目のえっへん!

この「手が&頭が覚えているうちに!」と
衝動で作ったのだけれど、意外にも
「わあ!お母さまが作り直してくださったわ!」
的に喜んでもらえ、母ニホンコン悪い気がしない。

で、ハタと思ったのだ。
我が家には、3年後に新入学を迎える一番最後、
3女がいる。また3年後に

途方にくれる→布買って眺める→諦めてミシン
出す→動作確認、から始まる一連のエンジン
かかるまで作業をすると思うと、そりゃ
かなわん。

しかも現在、この達成感と感覚が覚えていて、
もう嫌いな作業から「やればできる」なところ
まで昇華した私の裁縫レベルに有頂天中。

そうだ。こやつの分まで作ってやれ。

と。また生地やさんに行き、同じ布を買う。
既に二度手間なんてもんじゃない。
三度手間四度手間だ。

そうして、ガガガと一気に縫いまくり、
防災頭巾カバーは、新入学の2号のみならず、
長女のリニューアル及び、3年後の
未来のカバーも仕上がった。

よくよく見てみると、もう糸の始末がお粗末
すぎてあっちゃこっちゃ出ているのだけれど、
そんなの「まじまじと見る奴」なんて居ない
だろうと、ここは目をつぶる。というかつぶって
くれ。

あとは、
「どうぞ規格が変わったりしませんように」と
願うばかりだ。

そして、聞き込みをした周囲には
「3年後の分まで作った」と自慢をし、聞き返すと

「いや、ショッピングモールで売ってたのでそれ買った」

と。
うそでしょ、早く言ってよ。
私の半月の苦労と三年後の先取り苦労返してくれ。

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(写真後ろがその出来上がりの一部、手前の
モーフに包まれてる小さいのは、インフルから
復活した直後にノロウィルスに掛かっている
最中です)


4月21日 日本/香港

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by nihongkong | 2017-04-21 14:42 | Trackback | Comments(0)


2号の保育園卒園に寄せて





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(退場時のリボンシャワー、おひねりではありません)


2号の卒園に寄せて。

母、ニホンコンです。


2番目が、この春に保育園を卒園、小学校に入学をしました。


と、書くとそれまでなのですが、ニホンコンの

気持ちの中でいろいろグルグルと思い出すこと

あり、そんなものを書き綴ってみようかと。


「ほいくえん」というと、少し胸が痛くなる出来事があり。


2012年に東京を離れ、都会に通勤可能な自然が

ある町、ということで越してきた我が家。


仕事や友達は一旦離れてもその後の努力次第で

繋がり続けることはできるけれど、唯一手放し

がたかったのは、「ほいくえん」。


当時、都内の保育園で兄弟一緒の認可保育園に

入れているなんて、プラチナチケットもの

ったこともあるけれど、それ以外に、

本当に気に入っている園に通わせており、

母のモチベーションはもはや

「働いているから保育園」ではなく

「ここの保育園に通わせ続けていたいがゆえの

労働」みたいに逆転したくらい、心底惚れていた場所だった。


それが、あの時は風に吹かれたような引っ越し

いう転機が訪れ、1番目は卒園まで残す

ところ4か月、2番目は1歳半ばで退園。


あの場所で卒園というセレモニーを迎えられ

なかったのが当時は涙涙の大後悔で引っ越しの

高揚感はとうに消え、さめざめと泣き暮らして

いた。


でも今はもし晴れて卒園を迎えていたとして

も、きっと素敵であろうその園の

セレモニーに、 余計離れ難い思いに

駆られていただろう、と今は思う。


なので、2号が迎える「卒園式」は、実は親も

今回が初めて。こちらで認可の保育園に決まる

までは、それはそれは数か月単位で点々と

したものだ(短いところは1か月)。


そんな不安定な日々でも「楽しい!!」と

元気よくどこでも飛び込んでくれる2号の

たくましさと笑顔が、母の「旧保育園ロス」の

心の穴を埋めてくれたりもしていた。


やっと決まった現在の園は、通算5園目、

これでもうまた移動しなくてよいとホッと

したものの、旧保育園園と比べてしまうと、

やっぱり モヤモヤと不満が出てきていた。


よくある「大好きだった人が忘れられない

女々しい奴。しかも昔の思い出なので美化され

すぎて素敵にしか思えてない」という、若干、

いや相当イタイ奴になっていた。


そして不満の原因は「もっとケアしてほしい」

という、「私を見てよ!」という自分本位から

来る不満。当時の必死さを知ってる自分としては分からんでもないが小学校低学年の

長女と、同じ園に入った8か月の3号、

本格的に外で仕事をするようになり、

ヒイヒイしていた時期。


やっぱり大変だったんだね、アナタ、と

自分で自分の背中をナデナデしたくなる。


でも、主役である当の2号は、これまた

「たのしいー!うひょー!」な毎日で

「保育園は親のものじゃない」と思わされる

瞬間が何度もあった。


私立と違い、公立の園のため、行事も最小限

で、なかなか保護者同士の交流が持てない

中、結局、「にぎやかなのが大好きで仕切り

屋で音頭とりたがりのニホンコン」が、

途中入園という外様の身で、様子を伺い

ながら緩やかーに飲み会だの集まりだのを

仕切りはじめた。


そうしていくことでちょっとずつ積み上げて

いった信頼関係が、保育園卒園間際、一気に

ドドドドーッと崩れるように一体感が生まれた。


思ったのは


自分から心を開かないと何も進まない。

自分から心を開くと何かが進む。


これだけ。

そして、「どこにでも拾う神様はいてくれる」

ということ。

それは自分が「プンスカ」とそっぽを向いていたら見えないけれど、例えば園生活なら、

心をフラットにしてどんな小さなエピソード

でも、「ありがてえ」と思っていれば、

ほんと亀の歩みではあるけれど自分の居場所

ができてくるものだ。


2番目が3年間通った5園目の保育園では、

そんな親ニホンコンの心の葛藤との格闘も

あり、母としても経験値が1個あがった。


いかに不遇だと「思いこんでいる」己の環境

を、その思い込みいかんでどうにでも転ばせ

ることができる、という、文字ヅラで書けば

50字程度のことが分かるのに、3年くらいかか

ったのだ。


今回の卒園は、2号の成長はもちろんのこと、

自分の変容、「こだわることにこだわらない」

自分で肚に落とせたことのめでたさも

相まった。


卒園式は、そんな思いがないまぜになった

感じで、不思議な時間だったけれど、終了

してから、オットさんが父兄に囲まれて

おり、聞くと


「最初から泣きすぎですよ!人んちの子の

発表でオイオイ泣いて!」


だそうな。


ちなみにお守りがてら渡した白ハンカチは、

3回くらい絞れるほど涙涙だったとか。 

送り迎えはほぼ私で、緊急のピンチヒッター

くらいしか頼んでおらず、クラスメイトの

名前すらおぼろげな彼が号泣しちゃう

オープンマインドというか、楽観的というか

感動しいというメンタルがほんと羨ましい。


こちとら3年グルグルしてたんだぞ!おい!みたいな。


あれから、大好きだった旧保育園から、卒園アルバムが

送られてきた。


1年半しか通っていなかったけれど、少し

写真や名前が載っていて、そんな家庭まで

送ってくれることに、園っぽさが出ていて

またじーんときた。


けれど、今回の2号の「園が全く関わって

くれず(笑)親だけでああだこうだしながら

必死こきまくって作った2号卒園アルバム」

もまた格別。


前だったら旧園を想って泣き崩れていたで

あろう自分はもうおらず、

「あっちも相当素敵だった。でもこっちでも

良かった」と最後に思えたことが、本当の

意味での「我が家の卒園」だった。


書いていても当時のことが思い出され、

涙が出てくるのですが、これを書くことで、

ニホンコンなりの辛かった思いの昇華とでも

言おうか。


3年かかったけど、それなりに見える景色は

あるんだなーと。


4月10日 日本/香港


追記、おっとまだ書ききれてない入学式に

寄せる思いが。待て待て次号(笑)




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by nihongkong | 2017-04-10 11:03 | まいにち母さん | Trackback | Comments(0)


この春の涙vol.1〜二分の一成人式〜

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(帰省も楽になりました)

いついつまでも続くと思っている日々も、
確実に終わりに向かって進んでいると気づいた春。

センチメンタル・ニホンコンです。

この春は、いろいろ灌漑、もとい感慨深いものがありました。

まず、娘1号の「二分の一成人式」

ニブンノイチセイジンシキ?ってなんじゃい?!と
昭和の方はお思いかと思いますが(もちろん私も)
要は10歳を祝おう、みたいな妙な企画(失礼)
今じゃ四十路の「ダブル成人式」とか生後6か月
の子を祝う「ハーフバースデー」なんてものも
あるくらいだから、絶対もうすぐ30歳でやる
「ハーフ還暦」とか喜寿や米寿をもっと若くして
「何とか寿」とか出てきかねん勢い。

娘本人も二分の一成人式は「えー」とか言いながら
あまり乗り気でなく。「やる?やらない?」という
ディベートをクラスでやったらしいのだが、最後まで
「反対派」に座ってたらしい。ま、四年生の最後の
授業参観っていうだけでなぜそんなに
「♬お母さん~産んでくれてありがとう~わたし~」
みたいな感動ソングを歌わにゃならんのか、という
気持ちも分からんでもない。

なのでニホンコンも大して期待もせず参加しました。
「ま、学校サイドから親へのリップサービスみたいな
セレモニーでしょう」くらいの期待で。

(昨今の学校は親の顔色をやや伺いすぎな傾向が
ある気がする。学校は学び舎であって、保護者は
外野でいいのにな、とも思うけれど)

最初の入場。GREEEEN(Eいくつ付くんだっけ?)の
「キセキ」

(知らない方はユーチューブとかで見てみると
良いです。最初のイントロ ’あした~’ から
泣かせの音運びです)

ハイ、きたよ。
保護者を泣かせちゃおうって感じ。
わたしゃそんなトラップには引っかからないからね!
と、周りのお母さんが早くもウルウルしているのを
ぐっとこらえる(別に堪えんでもいいのに)。

そうこうしているうちに、全員入場し、クラスごとの
発表になる。娘のクラスはトップバッターで歌を披露。

これがまたニホンコンにとって誤算!大誤算!

「うまれて~じゅうねん~たちました~」
みたいな歌い出しに、この10年の記憶が走馬灯
のように駆け抜け、ぐわっと視界が涙でユラユラ
してきた。

もう、ずるいんですよ。
こういう感動セレモニーで歌われる歌は、そもそも
音符の運び方がもう泣かせのキーというか涙腺を
モロに直撃してくる。

そしてその歌詞と共にグルグル回る己走馬灯。
永遠に続くかと思う大変な日々だったけど、
思い返せばもうこうやって大きくなってるな、、

とかいってるそばからサビ
「♬今 今 伝えたい 普段は言えないことだけど
今 今 伝えよう 10年分のありがとう」

と。これ書いてる今でもオバハン目頭染みるわ。

そしてそれを40人近い子供たちの必死のパッチな
二部パートでのハモリとかで歌われると、ちょっと
胸がキュンとなる。

それから、ようやっとマスカラ落ちない程度の涙で
歌が終わり、他のクラスの発表を冷静に見れたのだ。

が、最後の全員による合唱てのがまたヤバい。
娘の小学校、少子化の現在で珍しいくらいの
大規模校。

1学年200人くらい、5クラスもある学校のため、
お子様全員で歌われると、その熱気とパワーとヤング
さで、それだけでぐわっと左胸の奥底を鷲掴まれる。

あー、もう途中から、これ以上泣くと化粧はがれて
帰りまずいことになるな、とか思って、自分の
左手の甲をちみくる。

(注:ちみくる、は地元浜松の方言で、標準語
だと「つねる」とでも言うか。でもニュアンス的
には絶対に「ちみくる」がしっくり)

ちみくる、というか「ちみくりまくる」。
ぎゅうぎゅうと。

式が終わった時には、ほんと、こんな気分。
「ナメててすいません。
斜に構えててすいません」と
先生たちに謝りたい。 

これは、二分の一成人式という大義名分のもと
「10年分のかあさんへの労い」だなと。

なんか、全くカンケーないんだけと、
結婚式で花嫁がお手軽読む、みたいなのに似てる
というか。ニホンコンは恥ずかしかったので、
結婚式ではこっそり引き出物の紙袋に手紙を
しのばせたのだけれど、今思えばやっても良かった
のかなー。とか。

それよか、花粉症気味なのか加齢なのか、
目の周りがカサカサしはじめる春。
こんなお涙企画を開催された暁には、もう
目のキワがヒリヒリしまくりで、これも
もう一つの涙。

おっと、春の涙バナシ一挙公開しようと
思ったのに、エピソード1つでずいぶん
長く書きすぎてしまったじゃないか!

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(うちわ風船テニスみたいな?)

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(結局ちいこいチームの対戦になる。
お姉さんご苦労様です)


続きは近々。待て次号!
(って、待ってないか、笑)

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by nihongkong | 2017-04-07 17:24 | まいにち母さん | Trackback | Comments(0)


ま、ま、まさかの全員インフルエンザ

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(元気の度合いでパジャマから普段着と色々)

ニーハオ、ニホンコンです。
まさか、まさかのインフルエンザ。
しかも家族全員でかかっていました。

今は復活して咲いてない花見とかを楽しんだりも
しておりました。

はじまりは2番目の娘から。
「オナカイタイ」という症状から始まったもの
の、まさかの小児科で「盲腸」の疑いを掛けら
れた。

んで、我が家総出でモーチョー!モーチョー!と
騒ぎ、お腹ナデナデ、頭ナデナデ急接近していたとこ
ろ、あれよあれよという間に皆の具合が悪くなり、
私と娘1号が検査であっさり陽性。

それで初めて疑いを疑った訳ですよ、2号のオナカ
イタイもインフルではないかと。で同じ日に
オットさんと2号も晴れてお仲間に。
(3号だけが時間差で翌々日くらいに発症)

もうそっから一週間は地獄だったか、というと
そうでもなく。

いうなれば「割と天国」

多分熱さも喉元過ぎれば、じゃないけれどしんど
かった時の記憶があまりないので、楽しいことし
か覚えていないのだ。あとは病院のセンセイも
「ただの風邪」程度で返そうと思ったくらい
症状が軽かったというのもある。

(解熱剤だけで返そうとする先生を見つめ続け
「えっと、せっかく来てくれたんだから、検査
くらいしてみましょか」と検査にこぎつける。
「うわあ!出ました!」と先生が一番びっく
りしてた)

オットさんとは幸いにも体調不良のタイミングが
外れたため、元気なほうが元気なうちにトン汁を
沢山こしらえ、ごはんを炊き、あとは適当に今日
はサケ、明日はホッケ、みたいな感じで魚を焼いて食べる日々。もうしばらくはトン汁見たくない
くらい食べたかも。

結局、月曜の発症から日曜まで、全員一歩も出る
ことなく、家族仲良く引きこもっておりました。
週の後半になってくると、だいぶ元気も出てきて
「今日何する~?」「映画でもみようか~」など完全にホリデー気分。日曜日が来て驚いたくらい。「え?やっと日曜?」みたいな(笑)

翌週に久々フレッシュエアを胸いっぱい吸い込んで保育園に登園すると「大変だったのねー」と
声を掛けられるが、そうでもないんだけどなーと
心の中でつぶやいていた。

結局、何が天国だったのか。
自分の中で考えてみると、やっぱり家族全員でずっと一緒に居れたことに他ならない。

普段、平日はほとんど母と子だけでごはんを食べる
毎日で、一緒にごはんを食べたのはそう何度もない。

凄いのは、トーキョー暮らしをしていた2012年まで
なんて、家族で夕飯が食べられたへーじつは
「震災の日と20年に一度の台風で帰宅命令が出た日」
2日だけ。オイオイ、天変地異でも起こらない限り
我が家は食卓を囲むのも不可能なんて!なんだこの
狂った世界。と思ったことがある。

当初、仕事が滞ることで検査に行くのを渋ってい
たオットさん。2号と一緒についでくらいの気持ち
で検査をしてもらったのだけれど、帰宅後げんな
りしながら「ビンゴだったよー」教えてくれた。
でも、イエス!ここぞとばかり一緒に過ごせるじ
ゃないか!とちょっと喜んでしまった不謹慎嫁ニ
ホンコン。

ただ、後半はさすがに子供たちも持て余してきた
のだけれど、そこはさすが3人。誰かは遊べるし、
柔軟な発想でそこらのモノを使っていろんな遊び
を創造していた。

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(私も小さいころよくやった秘密基地)


結論は
「インフルにかかるなら一家全員がおすすめ♡」ということだ。

誰かを隔離したりしてバイ菌扱いをしなくても済
むし、ジュースのコップなんかもみんなで回し飲
みしちゃうくらい気兼ねが無い。だって全員保菌
者なんですもの。そして合法的にお休みしちゃえ
て昼間っから映画みたり昼寝したりする毎日が待っている訳で(笑)

ただ、これは我が家のまあ何とか乗り越えられた
一例であり、話を聞くと、結構地獄絵図だったり
するお宅もあったりするみたいで。

春分という、暦の上では一年の始まりみたいな時
期に、いきなり強制デトックスみたいな一週間で
した。というお話。

4月3日 日本/香港

そうこうしてる間に真ん中が保育園ライフ終了。今日から学童に通うなど、環境は変化しつつあ
り、ああ、この揺れる思いを忘れないうちに次を
アップせねば!!な気分。

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by nihongkong | 2017-04-03 11:25 | Trackback | Comments(0)

    

香港在住時代の近況報告新聞「坂下香港」の日本版。03年から週1で綴ってもうすぐ10年。中華&子育て近況報告です。mail:kaorischina@gmail.com
by nihongkong
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