寝てばかりでラクだった1人目の育児とうってかわり、
起きてばかりで振り回されの日々。
ニーハオ、ニホンコンです。
お産の記憶が日いちにちと遠のいていくのを感じます。
思い出せないくらい遠くにいかない前に、えいやっと第三部。
結局提携先の産婦人科で出産が決まったニホンコン一家は、
朝ご飯を頂いていざ出発。
【病院へ】
この時点では気持ちもスッキリ。ここ2日ほど、アルジ会社行くの?
行かないの?娘の保育園はどーする?などと3人の体勢を整えるので
頭を悩ませ、同時に「振り回している」感いっぱいだったニホンコン。
病院のベッドに寝っころがった瞬間、「よっしゃ今日で終われるゼ!」
と心の中でガッツポーズ。
時を同じくして、助産院からもスタッフが2名到着。病院でお産
とはいいながらも、結局「場所が違うだけ」でほとんど助産院みたいな
気分。結局最後までこの2人と一緒に産み、上手い表現ではないのですが、
「ベッド間借り状態」だった、ような。
【いざ、点滴】
最初は軽ーいオナカの痛み。「そうそう!これを待ってたんですよね
アハハ!」と談笑できるくらい余裕。
その後、階段を一段ずつ駆け上るようにだんだん痛みも強くなる。
前回クスリは「毒盛り」と表現したけれど、失礼、これは「魔法のクスリ」と
言い改めたい。
近づいたり遠のいたりするのがお産の常だけれど、その遠のく時間を
ショートカットできると思えば有効。少なくとも自分にとってはよかったなと。
【いざ、分娩台へ】
もう、この場を借りて言いたい。「なんじゃあのブンベンダイてのは!」
これがお産のスタンダードになってるってのがホント不思議。
というのも、力が入らない。ドコをドウしていいのか分からない。
いやー、ほんと難しかった!でも経験してみてよかった、とも思う。
出産後の入院中は、助産婦さんを呼び止めては「3キロほどある
モノを体から出すにあたり、ヒトは重力ってものを使って産むべきで・・」と
長々と喋り、はてまたひとりの時には「ぶら下がり健康機(懐かしい)みたいな
『産み落とす分娩台』みたいなものを発明して特許をとって印税暮らしを・・」
などとソロバン勘定をしておりました。
(助産婦さん曰く、それだと『一気に産み落っこちる』になって危険とか)
【終わりました、そして】
長かったお産にゴールはやってきて、命のカタマリ、女児が誕生。
もう、「すがすがしい」の一言。そして「終わらないお産はナイ」
とあまりにも当たり前且つ平凡なニホンコンのコメントにも
「明言ですね〜」と褒めてくれるやさしい助産婦さんたち。
高揚感も相まって、ひとりいい気分を味わいながら
ベッドでゴロゴロして2時間、こっからが衝撃の展開。
「はーい、では帰りましょーう」
イヤイヤ、マジで?!ていうかドコに?
私まだヘロヘロなんですけど、足ガクガクなんですけど。
ハイ、ワタシ、産後2時間で助産院に帰ることになりました。
当初、入院は病院でも助産院でもどちらでもいいとは言われており、
入院部屋も見学していたニホンコン。まあ終わってから考えようと
思っていたものの、その後、別にどっちにするか聞かれる間もなく、
そこに居る人全員がニホンコンを「助産院に帰る人」として手続きをしていた。
いや、私そんなに未練がましい顔してたかしら。
私の顔に「帰りたい」と書いてあったのかしら。
いやいや冗談でしょコレ、と半ば笑いながらベッドから降りた時には、
床が目の前に〜!ああ私貧血なのね、なぜってこんなに「フラ〜ッ」と
するんだもの、と意識が一瞬遠のきながらも助産婦さんに抱えられる
ようにして分娩室を後にする。
この「フラ〜ッ」ってのは、フルマラソンのゴールテープを切った
選手がよろめいて監督などに毛布でくるまれるのに近い、ような。
んで少なからずの出血がある出産においては、そのゴール後に
牛乳瓶2本くらい献血して歩いて帰れってのが、そのときの
ニホンコンの置かれている状況だったと思う。
フラフラ記録は最終章にて。
これで自身の大変体験も消化&昇華されますゆえ、
どうぞあと1回だけおつきあい下され。
10月8日 日本/香港